ようこそ日本大学医学部ラグビー部OB会へ

創部80周年記念誌 巻頭言(2015年5月25日)

日本大学医学部ラグビー部OB会 会長(2015年5月25日)
龍 順之助 (42回生)

日本大学医学部ラグビー部、創部80周年を記念し、ラグビー部OB会を代表しご挨拶を申し上げます。
初めに、 日本大学医学部ラグビー部は創部以来、 80年間、 戦前、戦後の苦難の時代を越えて、クラブ活動を継続してくることができました。 医学部ラグビー部の学生を暖かく、援助してきていただいた、歴代の日本大学医学部の関係者の方々に深く感謝申し上げます。
また、幾多の時代を経て医科大学ラグビー部門および、医歯薬ラグビー大会の継続を支持してきていただいた東日本医科大学および関東医歯薬リーグの関係の方々、関東ラグビーフットボール協会、 日本ラグビーフットボール協会の方々に、深く御礼申し上げます。さらに、直接学生のラグビーを指導、コーチし、グランドでの試合、練習場の便宜をはかって下さった日本大学体育審議会ラグビー部の方々に深く御礼申し上げます。

当医学部ラグビー部の歴史を簡略に記載します。
平成14年に発行された 「ラグビー部創部70周年記念誌」の岸谷勲先生 (昭和39年卒) 記載の「医学部ラグビー部小史」によりますと、 昭和7年、山口美弥雄 (昭和11年卒) 東秀夫 (昭和12年萃) 斉藤光男 (昭和12年卒) 吉川康雄 (昭和13年卒) の先生方により 「日大医学部ラグビー部」が創部され、戦中戦後の困難な時代を乗り越え、 昭和25年に今尾文治部長 (第3外科教授)、 加部清一王将 (昭和23年卒) によりラグビー部活動が再開され、現代に至っています。

 記録によれば、 医科歯科系のラグビー部の関東ラグビー協会および日本ラグビー協会への登録は、 東京慈恵会医科大学 (昭和6年)、 日本大学歯学部 (昭和7年)、 岩手医科大学 (昭和8年)、日本大学医学部 (昭和10年) と記録されているようです。
さて、創部された昭和7年はどのような年であったか調べてみまと、日本では5.15事件が勃発し、時の犬養毅首相が暗殺され、 「話せばわかる」 が流行語となっています。 また、 世界では、大恐慌の後で、ドイツではナチス党が台頭し、米国でロスアンゼルスオリンピックが開催され、 日本選手では三段跳の南部忠平選手、 馬術の西竹選手が活躍しています。 このような時代に、 我が医学部ラグビー部が創部されたことを想像すると誠に感慨深いものがあります。

 過去に創部記念会が2回開催されています。 創部60周年記念会を平成3年5月25日に加部吉男実行委員長 (昭和35年卒) の下、 市ヶ谷の日大会館にて、 また創部70周年記念会を太田洋実行委員長 (昭和31年卒) の下 平成14年5月25日に同じく日大会館にて医歯薬関係、 日本ラクビー協会 関東ラクビー協会の方々をお招きして盛大に開催されております。
当時のOB会員は約180人、 約10年経過した現在 (2012年3月) 会員数は300人を超えて発展しています。

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